
誤解してしまう人がいてとても悲しい
私は自分が楽に生きられるようになった考え方の1つに
他人を変えるのは難しい、だけど、自分(の考え方)なら変えられる。
があります。
私は、この言葉に救われた側の人間で、次の記事で「心の声」と合わせて少しだけ触れています。
気持ち悪い自分の声と心の声というやつ
しかしToggetterで次のまとめを見て、一定数誤解してしまっている人がいる事を知りました。
https://togetter.com/li/1029186
どうも、「自分を変える=自分が我慢すること」と解釈してしまっている人が多いようでした。
この言葉はそう意味ではありません、toggetterのまとめも1ページ後半や2ページ目や3ページにはちゃんと意味が汲み取れている方が意味の補足してくれていますが、誤解した方が一定数いらっしゃるのは悲しいと感じました。
嫌な相手のために我慢ではなくて、自分が嫌じゃない方向に考えよう!って事だと私は理解しています。
「逃げる」と言うとネガティブに響くので「躱す」とか「回避」なんだと思ってます。
同じような考えの友人との向き合い方
最近、友人がとてもストレスがたまる生活をしているらしく、愚痴を聞いてガス抜きをしていました。その中で、ストレスを回避する(そもそも生成しない)方法として、自分の考え方を変える話を自分がうまくいった体験談を含めて話しましたが、全く伝わりませんでした。(説明がヘタクソなのも原因とは思います)
今は、おそらくこのToggetterの記事の1ページ目前半に多い方たちと同じ考え方だったのであろうと推測します。
自分を犠牲にして生きてきた人にとって「回避する」という発想自体が選択肢にないのかもしれません。
我慢するか、反発するか、その2つしか「手札」がないように感じました。
我慢した結果、我慢しきれなくなり反発し、周りからは急にキレたと思われてしまったようです。
我慢じゃなくて回避してほしい!
逃げてもいいんだし、逃げられないなら当たり障りなく過ごすための方法を考えればよいのに、相手のせいで自分が逃げなければならないのは気に食わない、当たり障りなく過ごすために自分の主張を曲げるのは気に食わない、自分が正しい、一般的には、社会人として、大人として・・と理屈で防御壁を張り巡らして正当性を主張してしまいました。
本人の気づきがないと無意味
友人だったので、「どうにかしてほしい」という希望を受け止めてわざわざ面倒に首突っ込んで時間を費やしてみましたが、
「他人を変えるのは難しい 、~」
の言葉どおりで、友人の考え方を変えることは難しかった。
「変える」などとという強制的なものではなく「気づき」をしてほしくて、この考え方の方が楽だよ!、こういう風に考えると怒りは沸かないよというような話を具体的な例に対してアドバイスしていただけなんだけど、とにかく伝わらない。
「どうにかしてほしい」=少しは変わる気があるのかと思ったら、「自分の主張が通るようにしてほしい」というのが本音のように感じた。
この記事は何が言いたいの?
「上手に回避する」事をコミュニケーションの手札に増やしてほしい。
考え方を変えるのって簡単ではないし、そもそも「変えたくない」「自分が正しい」って思う気持ちも理解できる。
私も昔は「なんで自分だけ我慢しなきゃいけないんだ」と思っていたし、嫌な奴に迎合するのも不快でしかなかった。
思い返すと、この「自分の考え方を変える事」を伝えようとしてくれた先輩もいた。
その当時は響かなかったけど、今もよく覚えている。
いろんな経験を通して「このままの考え方だとずっとしんどいな」って思ったから、少しずつ考え方を変えてきた。
そうしたらうまく人生が回るようになって、人生の難易度が下がった気がした。
だって、顔をみれば嫌味を言ってくる邪魔しかしない上司が味方になってしまったのだ。 わたしのお給料上げる方向に働きかけてくれたりもしたのだ。
私は単にラッキーだっただけなのかもしれない。
それが正解とは限らないけれど、少なくとも私には今の方が楽だった。
だから、同じように悩んでる人がいたら、「こういう考え方もあるよ」って伝えたかった。
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逃げ(回避)上手になろう |