きっかけはカラオケの録音
カラオケが好きになり、カラオケの上達のために録音して聴くという方法を実践しています。上達のために自分の声を録音したものを聴くと、とても気持ち悪く、歌どころか喋り方が生理的に気持ち悪いと感じる場合もあります。
実際「自分の声 気持ち悪い」でWeb検索をすると、たくさん結果が出ており、皆が感じていることがわかります。
冷静に考えると、その気持ち悪い声で他人に話しかけて生きてきている事実があるのですが、この事を真面目に考えると辛くなるのでみんなそっと蓋をして生きてると思います。
自分の歌声を聴いて「やばいな」とは思いつつ、少しずつでも自分が良いと思う方向に修正を繰り返し、キモさが少ないところを探していくという作業が歌の練習なのかと感じています。
ここからは心の声の話、聴覚の声ではない話です。
聴覚の声と心の声
「自分の声 気持ち悪い」で色々調べていたら、TEDでの興味深い講演がありました。
最初~中盤まで、先に書いたいわゆる聴覚の声の事で、なぜ自分の声が気持ち悪いのかを科学的に説明してくれています。自分の中から聞いている声が骨伝導だけでなく色々なフィルタを通って自分の声が聴こえている事が学べます。
その後の話が「心の声」についての解説で、当たり前に自分の中だけで響いていた「考え」や「思い」について語られています。
分かりやすい例として、癖の強い音楽やフレーズがずーっと頭の中をリフレインしていた経験を上げています。
これは心の声のしわざです、というところから話がはじまります。
私の心の声の経験
TEDの話に出てきたような癖の強い曲を心の声が歌っていると止めたくても止まらない経験は私にもあります。
また何かに不安を感じて、「あれはどうだったかな?」とか「ちゃんとできるかな?」など思い出すとその考えが繰り返され止められなくなったりします。
ほかには反射神経で遊ぶゲームなど、このままいければハイスコアを更新できると意識してしまうと、それがプレッシャーになって心の声が不安をしゃべり出し失敗する事も。
心の声の朗読による速読の失敗
以前、速読という読書方法に興味を持ち試したことがありましたが、自分の読書は心の声が文章を読みあげ、それによって理解や解釈をしており、その時は心の声だと理解はしていませんでしたが、その心が読み上げる速度より速くすることができずに諦めました。
心の声に朗読させないで文字を目で追っていく事は可能ですが、それは文字を見ているだけで読んでいる事ではなく、速読につなげる事は自分にはできませんでした。
速読ができる方は、この理解方法が私とは違うのかな?と思い諦めました。
心の声と自分の考えは同じではない?
これまで生きてきて
「自分の考え(意識)」=「心の声」
だという認識で生きてきていたのですが、TEDを見て
「自分の考え(意識)」≒「心の声」
ではなのだろうかと考えるようになりました。近いけども別のもの。
そんなの当たり前だろ!って方もいらっしゃるかもしれませんが、これは自分の中では大発見でした。
思案にあけくれているとき心の声と対話?をしています。対話と言っても他人とするような会話ではなく、ああでもない、こうでもないと思いふける状態です。
時には心の声は口から音として漏れてしまい普通の声となり、ブツブツ独り言を言っている場合もあります。周りの人には迷惑ですが、本人はブツブツ言ってる方が思考が整理されます。
経験上、嫌なことがあった時などに、口から出す代わりに心の声で悪態をついていたりします。「なんだあいつは、ぶつかってきて失礼だな!」って思っています。
心の声を使うとき
自分が「心の声」でしゃべるときをまとめてみました
- 考え事をしているとき検討内容を自問自答する
- 嫌なことがあったとき不満をしゃべる
- 本を読むとき
- 気に入った音楽があったりメロディーをおぼえようとしていたりするとき
- ミスが許されない状況で不安からの自問や推測
このような状況で心の声を使っていると思います。自分とのポジティブな対話となる1,3,4は特に考える必要は無さそうです。
問題なのはネガティブな2と5
ネガティブな心の声
2つ目の具体例は、電車などで「なんでこんな広いのにこの人寄ってくるんだ」とか、駅の階段で前の人に「20秒だけスマホ見るのやめてもう少し早く歩いてくれよ」とか、駅を降りてから前に歩いてる人が歩きたばこをして「たばこが臭い、家帰ってからか止まって吸ってくれ」とか心の声で悪態をついている。(※駅ばかりですね😅)
車の運転は最近はあまりしていませんが、車の場合、相手に聞こえないので、悪態を「心の」声でなく、口に出してるケースもあります。
電車通勤や車運転とか、他人とスペースを共有する場合に結構心の中でよくない感情を心の声でしゃべっており、心の声がつぶやくことで怒りや不満などのよくない感情が維持されるてしまう事に気づきます。
生活する中で誰かに嫌なことされたり、状況によって嫌なことになったりする場合があります。
その時、心の声がずっと反芻してしまい。自分の言い分や自分の正当性やらを心の声がひたすら、いかに自分が正しく相手が悪いやつなのか心でつぶやいたりしています。
ですがこの行為は、よくない感情を維持しているだけでなんの解決になるわけでもなく冷静に考えれば無駄な行為だと思います。
5の心の声も微妙です。たくさん練習したりして本来はできることがいざ本番になると疑問の声が頭に響いてしまい、失敗してしまう経験をしています。自信を持てるほどの練習量などで自分に自信を持てないと意識的に止めるのは難しいです。
「プレッシャーに負ける」という言葉がありますが、心の声が一端を担っている気がします。心の声が自分に問いかけて疑問をもってしまう。
なぜプレッシャーのかかる状況で失敗するかは、同じくTEDの シオン・リア・バイロックさんの講演の前半で語られています。 これも興味深いです。
ネガティブな心の声をやめる
心の声は完全には無理ですが、ある程度はコントロールできると思いました。
単に何も考えない、忘れるだけで良いので方法自体は簡単です。
駅で発生するレベルの小さな不満は、イラっとしてもその刹那で終わらせて何も考えないでいれば忘れてしまうので、ある程度は消し去ることができます。
すごく嫌な出来事も、ゲームに夢中になったり、素敵な映画を見ていたり、大好きなライブを見ていたりする時には忘れていられるように、考えない方向に努力するのがよいと思います。
改善する方法があるならば考えて答えを出せば良いのですが、考えても答えの出ない嫌な出来事を考え続けるのは無駄だし辛い。それでも考えてしまうかもしれないけど無意味な事を忘れる練習を試みても良いと思う。
嫌な事を心の声が繰り返すことで、必要以上に不快になったりします。
ですが、繰り返し不快を与えられる環境にいる場合は、忘れるだけでは難しい場合がほとんどです。
これの割り切り方は、Jamさんの本が参考になります。
私もこのあたりが不器用な人間でした、悩んでいた時期にはJamさんの本はまだこの世にはなく、職場で嫌味たらしく嫌がらせをしてくるおじいさんがいまして、真っ向からぶつかっては自分だけ心の怪我をしていた状態でした。
ですが「じじいリテラシー」という本を読み自分の考え方を変えていったら、嫌がらせをしてくるおじいさんが最終的には味方になり、かつなぜか自爆して退社していなくなりました。
私にとっては恩人であり恩書 |
この本は心の声の本ではないのですが、嫌いな相手でも譲歩する事など心の持ち方を変えたことで、結果的にネガティブな心の声を止めるきっかけになったと今は感じます。
心の声にもパターンがある
インターネットを調べていると、toggeterで同じテーマのつぶやきを見つけました。
多くの人が頭の中で自分と自分が会話していると聞いてびっくりしたー>「テキスト型」「議事録型」など様々なパターンが集まる
https://togetter.com/li/2074373
自分のパターンは「独り言型+会話型」ですが、頭の中に会議のように複数の人が居る人がいて、あれこれ議論した結果、議長役が思考をまとめるタイプの人もいるようです。
最近見たアニメ「はめふら」の主人公カタリナは劇中でよくこの会議パターンの自分との対話を行っています。私は単に面白くする演出かと思っていました。
ほか、マンガなどで天使(良い)の自分と悪魔(悪い)の自分がいて言い争ってる表現が使われることがありますが、あれも人によっては本当にそのパターンなんだということで驚きます。
自分と全然違う人が頭にいるという、空想(イマジナリーフレンド)型の人もいて、 多種多様。意外と心の声を意識している人が多いのも驚きました。気づいてないの自分だけ?
鬼滅の刃を見ていると竈門炭治郎は独り言(心の声)が超やかましい感じがしますが、自分はその心の声がやかましい炭治郎パターンの「独り言型+会話型」。
竈門炭治郎さんと妹さん |
炭治郎の「全身がバラバラになったように痛い、でも俺、頑張れ、できるか?」みたいな独り言、内容はもう少しマイルドだけれども仕事で大変だった時期とかに心の声が言っていた気がする。
「テキスト型」の人は文章化してアウトプットすることで考えを整理していくのは、これは心の声というよりか思考整理テクニックなのかな?と思う。
心の声とうまく付き合うことで、仕事を効率化したり、複雑な判断をしたりと。
人間というくくりでは同じでも、実際にはソフトウェア的に異なっていて、処理方法が違うというのは面白いと思うし、自分がどのタイプか理解することで得手不得手がわかれば、よりよい未来につながると思う。
・・・
そんなことを考えて暮らしていたら自分向けの本がありました、即買いました。
Chatter |
買って読むまでに時間がかかったので、心の声について考えていたときから数か月後にここの文章を追加しています。
この本はちょっと小難しく書いてあるのでとっつきにくかったですが、私がふと考えた心の声をちゃんと研究した本でした。
自分が考えていたよくわからない「心の声」にチャッターという名称がつくことも重要です。最初に書いた最初の疑問、
「自分の考え(意識)」≒「心の声(チャッター)」
自分と心の声は同じものではない事に確信が持てます。
心の声は不安を煽り、良くない方向へ判断を導いてしまう恐れがあることも、自分自身の経験と書籍内の人物に起きた事から、自分だけが苦しんでいるのではなく、誰にでもある普通の事だと理解することも重要でした。
それからコントロール方法が、しっかりと書いてあります。
書籍内で語っている偉い先生も自分のチャッターをコントロールできてなくて、コントロール失敗談が続くので、コントロールできなくて終わるのかと不安になりましたが書いてありました。書いちゃうと営業妨害になりそうなので本を読んでみてください。
コントロール方法自体は大変簡単な事なんだけど、まずはチャッターが存在することを意識すること、冷静にそういう思考になれるかというのが重要だと思いました。そのためプロセスを理解せずに方法だけ知っても、ピンとこないのではないかと思います。
一番の敵は自分でない自分
私は鬱状態で社会からドロップアウトした経験がありますが、その状態のときに一番自分を苦しめていたのは誰でもなく心の声だったのだと今は感じます。
四六時中「お前は社会の役にたっていない人間だ」とか「生きてる意味があるのか?」と心の声が喋ってきて、先行きの不安も含めて忘れるためにひたすらネトゲに没頭していた記憶があります。 でもこの手の不安は「忘れる」や「割り切り」で逃げきれないのです。
その時に、それはチャッターという不安を煽る、自分であり、自分でない何かが言ってるだけだと認識する事ができたのならばどれだけ幸せだったのだろうかと考えます。
心の声のパターンで書いた「イマジナリーフレンド型」や「会議型」の人はすでにチャッターのコントロールができているような気がします。
知るのが遅かったけれども、知らないよりは今後の人生は良くなりそうです。